薬師丸ひろ子はなぜボクシング通?大物ボクサーとの交友関係のきっかけは?

歌手で女優の薬師丸ひろ子さんが、
ボクシング3階級制覇のアレクシス・アルゲリョや
元世界統一ヘビー級王者のマイク・タイソンと
交友関係があるとのことで、
意外すぎる組み合わせにびっくりしましたね。
どこでどのように知り合って、そうなったのか。
とても気になります。
きっかけは何だったのか、調べてみました。

歌手で女優薬師丸ひろ子

名前:薬師丸 ひろ子 やくしまる ひろこ
本名:薬師丸 博子(読み同じ)
生年月日:1964年6月9日(57歳)
出身地:東京都
身長:155cm

薬師丸ひろ子さんは中学1年生の時
女優としてデビューし、
数々の映画に出演、主演。
『セーラー服と機関銃』
『Wの悲劇』
はともにその主題歌も大ヒットしました。
1991年、27歳の時に玉置浩二と結婚し、
1998年に離婚するまでは、
芸能の世界から一時的に姿を消しましたが、
その後、復帰して以降
歳を重ねてもなお可愛らしさとともに、
品の良さを感じさせる素敵な女優さんですよね。
個人的にあの歌声が大好きです。

大物ボクサーとの交流

アレクシス・アルゲリョ

本名:アンドレス・アレクシス・アルゲヨ・ボオルケス
生年月日:1952年4月19日
国籍:ニカラグア
戦績:85戦77勝(62KO)8敗

ニカラグア初の世界王者で
1974年から1981年までに3階級制覇を果たした英雄です。
長身でイケメンだったアルゲリョは
「美しき破壊王」と呼ばれました。

アレクシス・アルゲリョさんが日本に見えた時はお目にかかったり、ご飯をご一緒したり」と3階級を制覇したニカラグア出身の元世界王者の名を挙げてエピソードを語る薬師丸。一緒に撮った写真を持っているといい、「ボクシングが好きな俳優仲間に見せると、みんな『ありえない!』って。『薬師丸さんが思っている以上にこの写真は貴重だし、意味があるんですよ』と言われます」と笑顔で語った。

スポニチアネックスより

アルゲリョが来日したのは
1975年10月12日、3度目のフェザー級タイトルの防衛戦です。
東京:蔵前国技館で「KO仕掛人」と呼ばれたロイヤル小林と対戦し、
5回2分46秒、ボディブローによるKO勝ちで防衛を果たしました。
この時薬師丸ひろ子さんは11歳。
うーむ。
一緒に食事に行ったりしたのはもっと後ですかね。
自身の公式戦以外で来日することがあったのかもしれません。
じゃあなんで、一緒に食事に行ったりする仲なのでしょう。

マイク・タイソン

本名:マイク・タイソン Mike Tyson
生年月日:1966年6月30日
国籍:アメリカ合衆国
戦績:58戦 50勝 (44KO )6敗

元WBA・WBC・IBF世界ヘビー級統一王者で、
「地球上で最強/最高の男」
マイク・タイソンの名前は
いくらボクシング無知の私でも知っている
超大物ボクサー!!

「マイク・タイソンが初めて日本に来た時も奥様とお母様を連れて原宿に一緒に買い物に行きました」と元世界ヘビー級統一王者との意外過ぎる“関係”を告白。もちろんタイソン本人にも会ったそうで、「ちょうど学校の謝恩会があった会場とチャンピオンが泊まっていたところが同じで、一緒に写真を撮ったり『なぜボクサーになったのか』という話を聞きました」

スポニチアネックスより

マイク・タイソンが初めて日本に来たのは、

1988年3月21日

東京ドームで行われたWBA・WBC世界ヘビー級タイトルマッチです。

 統一世界ヘビー級王者・マイク・タイソン(当時21歳、米国)は
トニー・タッブス(同30歳、米国)を2回2分54秒、左フックでKOで勝利しました。

この時の薬師丸ひろ子さんは24歳
東京ドームで行われたこの試合は、
全世界に中継され、日本テレビのゲスト観客として
薬師丸ひろ子さんはリングサイドで観戦したことになります。
その縁で面識があり、コンパニオン的な役割もあったのでしょう。
タイソンの家族の接待に、関係者とともに
参加したといったところでしょうか。
本人ともお話ができたのは、
薬師丸ひろ子側も日本の有名な女優として、
インタビュー的なものもあったのかもしれません。

薬師丸ひろ子はなぜボクシング通?

あの試合を目の前で見たら、
ボクシング好きにはなりますよね。
モハメド・アリも来ていたそうです。
最初は仕事で観戦したのでしょうか。
案外若いときからボクシングとか
好きだったのかもしれませんね。
「か・い・か・ん・・・」
KOシーンなんてまさにそうなりますものね!

きっかけはWBAとお仕事

ネット上の情報を探していると、
横浜のボクシングジムのFaceBookページに
こんな情報が・・・

じつは薬師丸さんはWBAの重鎮、パナマのエリアス・コルドバ氏と元々 芸能関係の仕事で繋がりがあったらしく、なかなかのボクシング通らしいですよ。

ハッピーボックスジムFBより

パナマのエリアス・コルドバ氏・・・
誰?
2009年に訃報の記事がありました。

WBA(世界ボクシング協会)の元会長、エリアス・コルドバ氏が23日朝(現地時間)、パナマ市内の病院で死去した。92歳。死因は発表されていないが、暫く入院生活を送っており、老衰といわれている。
コルドバ氏は過去に2度WBA会長を務め、他にも世界選手権委員長はじめ要職を歴任した斯界の大物。パナマ市出身。「ドクトル・コルドバ」と呼ばれたのは、有名な外科医だったから。ボクシングを愛好し、パナマのコミッション・ドクターとしてこの世界に入ったが、やがてパナマ・ボクシング・コミッション、WBAの顔として活躍し、会長ポストを現職のヒルベルト・メンドサ氏(ベネズエラ)に譲った後も、長くボクシング界に大きな影響力を保っていた。数年前にはWBAの「終身名誉会長」にも選ばれている。日本のボクシング界とも深い繋がりを保ち、再三来日していた。

2009年で90歳ということは、
1919年生まれ。
薬師丸ひろ子さんとは45歳差なので、
親よりも年上の存在ですね。
1977年までWBA会長を務めたそうで、
アルゲリョが来日した頃はまさにその時代でした。
日本のボクシング界とも古い友人のような
関係だったと言えます。
日本のボクシング界とのお仕事の中で、
薬師丸ひろ子さんもまた、
ボクシング界のマスコット的にやってきて、
関係を深めていったのかもしれません。

まとめ

古い昔の話になりますが、
パナマ人のWBA会長になった医師と
日本人の若い女優さんに繋がりができて、
そこから世界的、歴史的ボクサーとの
人脈が広がっていくなんて・・・
なんともバブリーな話です。
いやもっと前か。
本当に良き時代だったと、
その時代を生きた人たちが、
思い出して、心温まるエピソードが
たくさんありそうです。
薬師丸ひろ子さんから
もっとボクシングの話聞いてみたいです。